2011年10月15日土曜日

厳しい季節

2011/10/15
東北に冬が近づいてきた。
僕たちが生活の拠点にしている場所にもストーブに火がはいるようになった。
ストーブに手をかざしながら想像する。
 (仮設にいるあのお母さんは暖まっているだろうか?)
 
 息子が軽い障がいをもっていて、お母さん自身も障がいがある。息子さんを送った時に出てきたお母さんと立ち話になり、途中から涙をポロポロ流しながら話をしてくれた。

 仮設が不便なところにあるのでそう簡単に買い物には行けない。壁が薄いので息子とヒソヒソはなし、まわりに迷惑がかからないようにしている。コタツを買うかストーブを買うか。ストーブは暖まるけど、どうせ灯油を買いに行けない。
不安や悩みが次から次へと吹き出してきた。

 たいした答えを持っていなかった僕は「また来ますよ」と言って2人と別れた。
 
 今日はどんなふうに暮らしているだろうか?しっかり食べているだろうか?寒くないだろうか?

 来週また訪ねる予定だ。

 

2011年10月11日火曜日

星空の下で広がる不安

2011/10/11
 気仙沼の活動拠点になっている岩手県一関市室根。最近僕は週の初めにそこへ行き2、3日滞在して気仙沼に行っている。
 教会が建っている場所のまわりが自然豊かで気持ちがよく、夜も静かで星がきれい。いうことない場所である。

 ただ、

 放射線量が高い。

 岩手県産の肉牛が出荷停止になったエリアの中にここも含まれるし、一関市が公開しているホームページの情報からもそのことがわかる。離れていても関係ないという事と、事故から7ヶ月という長い時間がったという事も関係がない。

 原発事故で星の数ほどの不安が世界中に広がっている。

たいせつなモン

2011/10/10
志津川子どもプログラムに毎回やってくるO君はいつもキックボードにのってくる。
「オラのたいせつなモンだ」
そう言ってボランティアが寝泊まりしているテントの横や仮設住宅の脇をスイスイと通り抜けていく。
 意外にスピードが出るので、僕は自転車を持っていない小学生のように走って追いかける。
彼の背中を見ながら、ふと、自分にとって「本当にたいせつなモン」は何だろうか?と考えた。

「・・・・・・」

すぐに「これだ!」と思うモノが出てこないということは、やっぱりモノを持ちすぎているということか。

「0君まってくれー」

2011年9月9日金曜日

再開

2011年8月28日(日)
 気仙沼の町をふらりと歩いてみた。車で移動することが多かったので歩いてみると新鮮だった。
 わかってはいたことだけど津波は容赦なく町全体に襲いかかっている。日曜日だというのに人は歩いていない。
静かな町の中を歩いていると「いちまる」という笹蒲屋さんがオープンしていた。
 「木曜日(3日前)にようやくオープンしました。機械も水に浸かったけど、掃除して動かしたら何とか動いたので、やれって事なんですねー」
 以前に比べたら作っている種類は少なくなったらしいけど、商品がショーケースの中に丁寧に並べられていた。

 「何かやんないと生きていけないし、待っている人がいるからやるしかないです!」
力強い言葉を聞いて『厚焼き笹蒲』を買った。
 誰もいない町を歩きながら笹蒲をほおばると、これを「待ち望んでいる人」は確かにいるだろうなと思った。

2011年9月7日水曜日

お泊まり保育の夜に

2011年8月20日(土)
 近くにある幼稚園のお泊まり保育を手伝いに行った。本来なら山で一泊するはずなのだが、震災の影響もあり園舎に泊まる事になったという。
 昼間はプールにいって、カレーを作って、夜はキャンプファイヤーと、子どもたちはどの時間も楽しく過ごしていた。
 興奮冷めぬ子どもたちがやっと寝静まって、先生達もそろそろ眠りに入ろうかという時「グラグラッ」と揺れがきた。
男の子が1人パッと起き上がって
「震度2だー!」
と言いながらあたりをキョロキョロ見回した。
僕が横に行って「大丈夫よー」と背中をさすって寝かすとそのまま眠ってくれた。

 今でも仙台は余震がある。昼間は気づかない時があるが、寝ている時に「ゆさゆさ」と体を揺らされると不気味でしかたがない。

 あの大きな揺れを経験し、余震がある中で生活している子どもたちの心の不安はどんなものだろうか?
 お泊まり保育の夜に少しだけ見えた気がする。