2011年10月24日月曜日

送迎支援

2011/10/12火曜日
「いっしょに歩こう!プロジェクト」が関わっている就労移行事業所『ひまわり』に週3日ほど行っている。仮設に入居している利用者が多く、本人や家族のちょっとした「足」にしてもらおうと送迎の手伝いをしている。

この日は利用者のTちゃんとそのお母さんといっしょに市役所に保険証を取りに行った。
お母さんは脳の手術を受けていて、杖が無いと立てず料理をするのも困難で、出かける時にはタクシーしかない。ちょっとした用事のためにいちいちタクシーを使っていたら大変な出費である。
 入居している仮設は町から遠いし、まわりにお店はない。車がある人はまあ何とか生活できるだろうけど、なければ歩くのが好きな人でもイヤになりそうなところだ。


 気仙沼市役所は黒澤映画「生きる」に出てくるような雰囲気だった。
震災の影響というより元々そういう市役所だそうだ。

 保険証を受け取るには印鑑と身分証明書が必要で、売店に売っているはずの印鑑は売り切れ、身分証明書もお母さんが持っているものではダメらしく、次に来る時持ってくるので何とかならないかと頼んでみたもののやっぱり受けつけてくれなかった。
 結局お母さんにはそこで待ってもらうことにしてTちゃんと僕は仮設にとりに戻った。
戻りながら「もしこれがタクシーだったらメチャクチャ高級な保険証やねえ」と笑って話していたけど、被災地では笑えない苦しく大変な生活が始まっている。

2011年10月15日土曜日

厳しい季節

2011/10/15
東北に冬が近づいてきた。
僕たちが生活の拠点にしている場所にもストーブに火がはいるようになった。
ストーブに手をかざしながら想像する。
 (仮設にいるあのお母さんは暖まっているだろうか?)
 
 息子が軽い障がいをもっていて、お母さん自身も障がいがある。息子さんを送った時に出てきたお母さんと立ち話になり、途中から涙をポロポロ流しながら話をしてくれた。

 仮設が不便なところにあるのでそう簡単に買い物には行けない。壁が薄いので息子とヒソヒソはなし、まわりに迷惑がかからないようにしている。コタツを買うかストーブを買うか。ストーブは暖まるけど、どうせ灯油を買いに行けない。
不安や悩みが次から次へと吹き出してきた。

 たいした答えを持っていなかった僕は「また来ますよ」と言って2人と別れた。
 
 今日はどんなふうに暮らしているだろうか?しっかり食べているだろうか?寒くないだろうか?

 来週また訪ねる予定だ。

 

2011年10月11日火曜日

星空の下で広がる不安

2011/10/11
 気仙沼の活動拠点になっている岩手県一関市室根。最近僕は週の初めにそこへ行き2、3日滞在して気仙沼に行っている。
 教会が建っている場所のまわりが自然豊かで気持ちがよく、夜も静かで星がきれい。いうことない場所である。

 ただ、

 放射線量が高い。

 岩手県産の肉牛が出荷停止になったエリアの中にここも含まれるし、一関市が公開しているホームページの情報からもそのことがわかる。離れていても関係ないという事と、事故から7ヶ月という長い時間がったという事も関係がない。

 原発事故で星の数ほどの不安が世界中に広がっている。

たいせつなモン

2011/10/10
志津川子どもプログラムに毎回やってくるO君はいつもキックボードにのってくる。
「オラのたいせつなモンだ」
そう言ってボランティアが寝泊まりしているテントの横や仮設住宅の脇をスイスイと通り抜けていく。
 意外にスピードが出るので、僕は自転車を持っていない小学生のように走って追いかける。
彼の背中を見ながら、ふと、自分にとって「本当にたいせつなモン」は何だろうか?と考えた。

「・・・・・・」

すぐに「これだ!」と思うモノが出てこないということは、やっぱりモノを持ちすぎているということか。

「0君まってくれー」