2012年1月31日火曜日

残された船

2012/1/26
気仙沼鹿折地区

道端に残された船は
 第十八共徳丸  330トン。

気仙沼市はこれをモニュメントとして残すらしい。

2012年1月23日月曜日

棟梁

2012/1/16
  神戸の本町公園が避難所になっていた時に、大工仕事は「棟梁」と呼ばれるIさんの元に行っていた。小柄だったが的確なアドバイスと巧みな技をもっていたのでみんなが尊敬していた。
 昔話を聞くのも、大学生だった僕には
面白くてたまらなかった。
 
 棟梁は避難所から復興支援住宅に移り一人暮らしをしていた。
 僕が最後に会ったのは、暑い夏の日に1.17の集いに来た時で、 市役所から三宮駅に送って行ったのを覚えている。

 「しんどいなあ、しんどいなあ」と途中の喫茶店に入って冷たいアイスコーヒーを飲んだ。


 その何年後だったかはわからないけど、棟梁は支援住宅の浴槽の中で亡くなってしまった。

 本町公園に棟梁の仮設が建っていた場所にはちょうど石があるので、僕たちにとって何となくそこが棟梁の「墓」のようになっている。


 「今年もまたきたよ」

1.17 神戸

2012/1/17
今年も神戸で1.17追悼・連帯・抗議の集いが神戸市役所前で行われた。
でっかい市役所の前にステージを組んで歌や踊りがあり、そして訴える。
訴えている内容は
「借り上げ復興住宅」の「明け渡し→転居」強制を許さない
である。
 神戸市が借り上げている復興支援住宅(20年契約)からの追い出し
がじわりじわりと始まっている。震災当時60歳だった人は
20年たてば80歳、 当たり前の事だけどバリバリ仕事が出来る年では
ない。収入がそんなに無い人にとっては、家賃が今の倍になる事は
大きな痛手であり、生活が脅かされる。
 「払えない人はでていきなさいよ、だって契約でしょ」
というのが神戸市の言い分。
 それに「NO!!」をつきつけるのがこの集い。

神戸で「追い出し」の前例をつくらせてしまえば、
10年、20年後、東北で同じことがおこってしまう。

ヘルパー2級講座(第一回)

2012/1/14(木)
フィリピンから来たお母さんたちは
ヘルパー2級講座第一回が行われた。(計8回)
今まで日本語を毎週勉強してきて
いよいよ講座スタートだ。
毎週土曜日9:30から17:30までみっちりと勉強をしなければならず
日本人でも大変なことだ。

それでも母さんたちは
食い入るように講座を聴いていた。

仮設にて

2012/1/8
 岩手県一関市の千厩(せんまや)というところに
仮設住宅がある。気仙沼市からあふれてしまって
宮城県から行政区が違う岩手県に出来た仮設住宅は3つある。
 「私たちは忘れらている」と
住んでいる人たちの心には不安と怒りがたまっている。


 仙台で行われたサックス吹き梅津和時さんのライブに行った時、そんな仮設の状況を話すと
「ちんどんでもやって盛り上げたいね」
とライブの間をぬって時間を作り3日後にはそれが現実になった。
 ちょうど他の団体がもちつきをやっていたので
その宣伝のためにちんどんをはじめると、
おばちゃんやおじちゃんたちは
「なつかしいわーーー」といって
数人が手をたたきながら出てきた。


 その後集会所でお餅を食べながら懐かしの歌を大合唱。


音楽の力は確かにある。
仙台出身の梅津さんは「毎週でも来て元気づけたいね」というがなかなか忙しくて難しいでしょう。


そろそろ僕の出番かな

年越しは山で

2011−2012
の年越しは
いつものように
山で・・・