2011年6月24日金曜日

物資

2011/6/21
東京から物資が送られてきたので、仙台キリスト教会の人たちと
仕分けの作業をした。
今、被災地で必要だと聞くものは、夏用の下着やタオルケットなど
とにかく夏に使うものだ。
あとは避難所からアパートや仮設に行く人が多いので、
日用品(鍋や時計、食器など)が必要になってきている。
家が流されて、避難所ではなく知り合いの家などに
避難している人たちには支援物資が届きにくい。
また義援金が出ていないので、できるだけ生活費を
おさえている人もいる。
なのでちょっとした日用品が必要になっているということだ。

2011年6月23日木曜日

すみちゃんの家

2011/6/20
宮城県東松島市にあるすみちゃんの家。
グループホーム、託老所を経営している。
もともと地域活動の拠点となっていたような所だったが
津波でこの二つの施設、そして自宅が水に浸かった。
7月9日には自宅を使ってで開所したい、という事で
急ピッチで片付けの作業が行われているので
手伝いに行った。
内容は水に浸かってしまった
皿の汚れを落とすという作業。
この地域にはまだまだ人は帰ってきていないが、
施設をなんとか再開して戻ってくる
きっかけになって欲しいという思いが詰まっている
すみちゃんの家 。
いろんなボランティアが集まっていた。

2011年6月21日火曜日

Sさん宅

2011/6/16
石巻市内から少し離れた地域に住むSさん、
自宅の被害は無いけれども、水はつい最近まで出ておらず、
もちろん最初は電気も来ていなかった。
自宅があるために支援物資はもらえず、
いわゆる「在宅被災者」だ。
そのため週一回物資をもっていっている。

震災前はワカメ・アワビ・コンブなどを
養殖していたが、津波で船や網などほとんどが
流されて再開のめどはたっていない。
Sさんは海をみながら
「津波が来る前あの岩の底が全部みえたなあ、いい漁場だったけど・・・」
とカモメが飛び交う岩を指さした。

宮城県東松島市

2011/6/16
仙台キリスト教会の信徒さんが住む東松島市へ訪ねた。
この地域(矢本地区)も大きな被害を受けて、信徒さんの
家のまわりは3軒ほどしか帰ってきていない。
山登りが好きな夫婦だったので話が盛り上がった。
孫2人も幼稚園から帰ってきたので持ってきたぬいぐるみ
を渡すと、子どもたちの緊張がとかれて帰るまで遊んでくれた。
家の前のもと田んぼだったところは片付いたとはいえ、
流れ着いたものがまだ散らばっていた。

東日本大震災3ヶ月記念聖餐式

2011/6/11
仙台キリスト教会で「東日本大震災3ヶ月記念聖餐式」がおこなわれた。
大震災によって犠牲になった方々、
今もなお困難な状況にいる方々、
特に東北教区信徒で犠牲になった方のために
祈りが捧げられた。



死者          15,401人
行方不明      8,146人
避難所に身をよせている人
                  92,000人 
(6月9日現在)

あの日から

2011/6/10
あの日から三ヶ月を迎える前の夜、
仙台市が見渡せる公園まで登ってきた。
町の明かりは復興のしるしなのか?
いや明かりは何のしるしにもならない。
明かりのふもとで聞く声といえば、
「親戚が津波でね・・・」
「友達がね・・・」
「同僚がね・・・」

海が近い町へ行けば
「何にもなくなったね。」
「どうすればいいんだろうね。」
「あの日からすべてが変わったね。」

明日であの日から三ヶ月をむかえる。
あの日を体験した人、
そして今もなお体験している人の苦しみや絶望を、
決して消化できるはずがないとはわかっていても
その声に耳を傾けている。

2011年6月17日金曜日

青森からやってきたスーパーハウス

2011/6/9
仙台市宮城野区岩切地区。
以前も書いたようにここは津波の被害ではなく、地震の被害がひどい地区。
屋根にはブルーシートがかかった家が目立ち、道路にもいたるところに
亀裂がはいっている。
加藤さんの家は全壊状態で建て替えが必要だが、
まだまだめどは立っていない。
おじいちゃんの体の調子があまり良くなく、
おばあちゃんは入院中で帰って来たら
全壊状態の中での生活はあまりにも危険なため、
スーパーハウスを青森から取り寄せて
設置をすることになった。
8畳の部屋にベットを二つ運び込んだ後、
風通りのいい部屋でお茶を飲みながら加藤さんの話をうかがった。
コミュニティー農場、レンゲ米、循環農業のことなど
幅広く取り組んでいる活動も支えていけたらいいと思う。
加藤ファームの詳細は
http://www.webmambow.net/kato_farm/
ぜひごらんください。
この日、加藤さんがお米を卸している団子屋さんが
たまたまお米を取りに来て、
ついでに団子を持ってきてくれた。
実は「なぜ枝豆を甘くするのか!」と
ずんだ餅に対して疑問をもっていたが
おいしかった。

2011年6月15日水曜日

2011/6/5
2日間だけという予定は簡単にくずれて、
8日間大工さんの手伝いをして、ボロボロになった教会は
「山小屋」の建物になった。(建物の中は)
当初予定になかった和室、外のお風呂場も山小屋というより
北欧風の建物に変えられた。
「2,3年経てば木の色が変化してもっといい色になるべ」
大工さん自身も自分の家を建てていて、今回の壁と同じ材を
使っているのでその良さがわかっている。
この山小屋風建物が拠点になって、被災地の支援に大きな
役割を果たす事を願っている。

室根山

2011/6/3
室根山(約900m)、聖ナタナエル教会から見える。
前には田園が広がっていて、とても気持ちが良いところ。
夜になると星がバラバラと落ちて来るぐらい見えていいところ。
室根山の頂上付近には高原が広がっていて牛たちが牧草をたべていた。
パラグライダーやハングライダーも頂上付近から飛び立って教会の上空を優雅に飛んでいる。

夜の気仙沼

2011/6/1

夕食の後大工さん達が「気仙沼までいってみっべ」
と車をだしてくれた。室根から約20分。
テレビでは気仙沼全体が被害を受けているような情報だったが、
駅周辺などは日常をとり戻しているようだった。
港の方へ車を走らせるとやはり人気はない。
誰もいない街の一角にスナックが営業していた。

車を降りるとあまりにも静かで少し寒気がした。
今日6月になったのに。
  

室根聖ナタナエル教会

2011/5/30

岩手県一関市室根町に聖公会の聖ナタナエル教会がある
津波の影響はないが地震の影響で会堂、
礼拝堂のあちこちの土壁がおちて
築50年の教会はさすがにボロボロだ。
この教会は気仙沼などに近い位置にあり、
ここをボランティアの拠点にして
活動場所にできればということで大工さんとやってきた。
見事な早さで落ちた土壁の上に新しい
壁が貼り付けられていく。
 多くの人がここで寝泊まりし、生活する日もそう遠くはなさそうだ。

美容師ボランティア

2011/5/30

髪を切ることで少しでも皆さんの支えになれば、
と大分から10日間の予定で仙台に来た美容師のSちゃん(後ろ)
仮設住宅に床屋さんがいたり、もうすでに理・美容師がボランティアに来ているところが多くてなかなかその機会がなかったが、電話をかけ続け来て欲しいといってくれたところがあった。
(高舘小学校避難所3名希望)ホワイトボードにはそう記されている。
髪を切る方も切られる方も明日を楽しみに待っているはずだ

宮城県多賀城市七ヶ浜町

2011/5/28
 宮城県多賀城市七ヶ浜町。
仙台の中心地から約20キロほどの海岸沿い。
車で走り、海辺が見えてくると「やっぱりここもか・・・」
と言葉を失う。
ここから北へ300キロ、南へ300キロ、海岸線という海岸線が
全部こんな被害を受けていると想像しようとしても、
目の前に流れ着いているモノに目をやると、
マスクの中で口がぽかんとあいている。

2011年6月13日月曜日

Iさんの家

2011/5/26

仙台市岩切地区は津波の被害は全くないが地域全体が活断層の真上にあるため、地震の被害が甚大だ。
Iさん夫婦家も中はぐちゃぐちゃで住むことはできないため、自宅庭のガレージにブルーシートをはって生活している、
 最初の2ヶ月間車の中で寝泊まりする。行政の支援はなし。
この日は梅雨前に屋根(ガレージのブルーシート)を補強するためメンバーででかけた。
岩切地区の多くの住民が家が激しく半壊、全壊して避難している状況。
り災証明書が出ている家と出てない家がある。

会津若松市物資搬入


2011/5/25
会津若松市が3000人の避難者のうち大熊町町民約5分の4、他南相馬市、浪江町を受け入れている。大熊町は役場ごと移転。
物資は足りない。特に日用品がいつも不足している状況(洗濯洗剤、台所洗剤、食器、夏の服などなど)
若松市社会福祉協議会が物資を集め支給している。
月木土オープン、月水金は仕分けをしている。(地元ボランティアの手によって)

2011年6月10日金曜日

ミスター釜石

2011/5/24(火)
東北二日目、岩手県釜石市訪問
釜石信愛幼児学園の園長先生、理事長から状況を聞く。
その後理事長に釜石を案内してもらう。
世界最大の防潮堤建設の提案者でもあり、釜石市のさまざまな分野に携わってきた。
「この防潮堤がもう少したかければ・・・」
釜石漁港に乗りあがった大型貨物船の前での言葉が重く響いた。