2012年11月6日火曜日

10月13日 本当のことは?

 東北で活動中
  詳しくは・・・ http://walknskk.blog.fc2.com/


 郡山のある小学校の運動場へ行くと、モニタリングのための線量計があった。ちょうどその近くで小型線量計(それでも本格的なやつ)で計測している人たちがいた。大きな線量計のまわりになにやら水をまいていたので、「何ですか、それは?」と聞くと「いや、ちょっと・・・」とあやしい。学校関係者のふりをしてもう一回聞くと、「線量が下がるかどうか実験で薬品をまいている」とのこと。そこからゴニョゴニョといろいろ話をしてくれた。
・運動場のまわりに積んである残土や落ち葉は、かなり線量が高いということ。
・モニタリングポストの数字より自分たちが計っている数字が高く出ているということ。
・川内村にも行っているがそこはかなり高い線量だということ  などなど
 おじさんは最後に「一番いいのは引っ越しすることだね」と言って去って行った。


いろいろ教えてくれたおじさん(右)

線量が低くなるかどうか、薬品をまいたり特殊な砂(?)をまいているらしい

おじさんの持っている線量計ではこの数字よりも高い

近寄らない方がいいよ、と言っていた落ち葉や残土

運動場で野球の練習
 

2012年11月5日月曜日

10月23日 尚生

東北で活動中! 
   詳細はこちら・・・   http://walknskk.blog.fc2.com/

 ライブがあった
ちびブラス

そこで出会ったのがチューバ吹きの菱沼尚生
ただの尚生(左)で、チューバ吹きの尚生(右)

 「一緒の名前やん!」と喜びながらいうと、「いや、ナオキです」と返ってきた。

2012年10月12日金曜日

10月11日 再会

 去年も同じ時期にあった板橋文夫トリオのライブ。 ベースの瀬尾くんやドラムの一哲くんとも一年ぶりの再会、とはいっても会うのは今回で2回目(そんな気がしない)。打ち上げの話題の中心になったのは福島のことや原発のことで、お互いそれぞれのスタイルでそれらの問題に向き合っていた。
 次、再会する時は何か一緒に出来たらなあ。
 
                 

打ち上げ終了後

 

冬へ

室根の夜空
いよいよ冬になってきた。
まさか東北で2回も冬を過ごすことになるとは思ってもいなかった。
毎日いろんな事があるけど、室根の冬の夜空を眺めるとはやっぱり落ち着く 。

2012年10月11日木曜日

2012/10/7 福島の祭

福島へ行って、この夏九州に来たくれた幼稚園の先生たちと再会。
福島の今の声をたくさん聞く事が出来た。

次の日、ちょうどお祭りをやっていてたくさんの人が町にあふれていた。
出店もたくさん出ていた。

懐かしいお化け屋敷

大人も子どももたくさん集まっていた
公園の入り口にたてられていたもの。今年の五月の記録なのか、高い放射線量の数値が表示されてある(国が除染を必要と定めている線量は1時間あたり0.23マイクロシーベルト)

祭は朝からずっとやっている。みんな道路に座ってご飯を食べているのに・・・


「福島を出たい人は出ればいい。福島から出て行ける人は出て行けばいい。ここにいるしかない人はここにいるしかない」前夜に聞いた若い先生の言葉が心に残る

2012年10月4日木曜日

東北は・・・

荒浜地区の松林、津波で大部分がなくなった
過ぎてみれば暑い夏はあっという間。
東北の秋はあってないようなもの。
もうすぐ冬か 。

清里で漆喰ぬり

月一回のペースで清里に行って小屋作りの手伝いをしている。
今回は漆喰ぬり。
漆喰の建物は夏涼しく、冬暖かい。

(9月30日)

石巻ちんどん

そういえば石巻でチンドン屋をやったらこんな人に出会った
(9月24日)
 写真はhttp://rock1117.exblog.jp/から
この日は内田裕也氏のイベント宣伝だった。(真ん中)
 

ひさしぶりのブログ

まったく更新していないブログを見ている方がいるので、申し訳ないです。
現在も東北で活動中です。詳しくはこちらをご覧ください。
http://walknskk.blog.fc2.com/

ぼちぼちと更新していきます。
昨日から郡山で教会の会館を大工さんと建築中です。

とは言っても小さな手伝いしかできません

どんな会館になるか楽しみです

2012年4月4日水曜日

雄勝の仮設で出張食堂

集まって来た皆さんのまえで演奏
2012/3/31~4/1

いつも神戸で一緒に活動している仲間が
東京から石巻市の雄勝の仮設にやってきた。
 雄勝は町全体が被害を受けたところで訪問した仮設は
元キャンプ場に建てられたところ(一日目)と
半島の端っこに建てられたところだった(二日目)。
 東京から約15名ほどがきて現地で20種類の料理を作り、
マッサージあり、薬学生による相談会もあり、
お酒もでてちょっとしたお祭りのような雰囲気になった。
 ちんどん隊も仮設をねり歩いたが、皆さんはこの日を
楽しみにしていたらしく、早々と会場に集まってきたので
「懐メロメドレー」から「炭坑節」まで
一緒に歌って踊ってちょっと早い春のお祭りのようだった。
炊き出しではなく、20種類もの食事がバイキング形式で並ぶ

2012年3月8日木曜日

福島で相撲教室

去年まで力士をしていた友人を連れて福島県下にある4つの幼稚園にまわらせてもらった。

まだまだ福島県下の幼稚園では放射線量が高く外遊びが制限されていて思うように過ごせていない。事故後もうすぐ一年になるが、あの時から子どもが自由に外で遊べないというのは異常な事だと思う。そういう意味で収束という言葉を堂々と出せる人も異常だと思う。

 思いっきり室内で体を動かせる事は何だろうか?と考え、
去年まで相撲界にいた友人がいたので声をかけると「僕でも役に立つのなら」ということで今回の相撲プログラムに発展した。
 子どもたちにとってはまわし姿の人を見るのは珍しいし、一緒に稽古をするのも初めてだったけど、いざやり始めてみると面白く、笑いが止まらない時間になった。
 
四股をふむというのは、もともと邪気を払う意味をもっているので子どもたちと「よいしょ!よいしょ!」と何度も四股をふんで少しでも悪いモノが消えてくれればいいなあと思った。

郡山の空間線量は相変わらず高めだが、土や砂があるところはびっくりするような数値が出る

東松島のお祭り

東松島市のお祭りに参加
ここの地区の皆さんが日頃やっている、花や細工、陶芸などが展示してあり
ホールでは吹奏楽団や社交ダンスなどが披露され、言ってみれば地区の文化祭だ。
僕たちチンドン屋もホールで演奏し、その後は外で演奏。人出はぱらぱらだったけど
最後の餅まきの時には一杯人が集まっていた。
 この祭りは毎年もっと早い時期に開催されているものらしいが、地震の影響で
ホールが使えなかったらしい。時期がずれたためにホールで出演するグループも
少なく人出も少なかったようだ。

2012年2月27日月曜日

ちんどん屋デビュー

ちょっとしたことから繋がって、
石巻にあるライブハウスのマスター達と3人で
2月26日に南三陸町志津川にオープンした
「南三陸さんさん商店街」でチンドン屋で登場した。
あいにくの天気だったが、演奏しながら歩くとおばちゃん達が踊ってくれたり、あちこちで「ありがとう」と言われたのでこっちも盛り上がって演奏できた。
来週は東松島で演奏です。


チンドン屋として生きていく道もあるな 。

2012年1月31日火曜日

残された船

2012/1/26
気仙沼鹿折地区

道端に残された船は
 第十八共徳丸  330トン。

気仙沼市はこれをモニュメントとして残すらしい。

2012年1月23日月曜日

棟梁

2012/1/16
  神戸の本町公園が避難所になっていた時に、大工仕事は「棟梁」と呼ばれるIさんの元に行っていた。小柄だったが的確なアドバイスと巧みな技をもっていたのでみんなが尊敬していた。
 昔話を聞くのも、大学生だった僕には
面白くてたまらなかった。
 
 棟梁は避難所から復興支援住宅に移り一人暮らしをしていた。
 僕が最後に会ったのは、暑い夏の日に1.17の集いに来た時で、 市役所から三宮駅に送って行ったのを覚えている。

 「しんどいなあ、しんどいなあ」と途中の喫茶店に入って冷たいアイスコーヒーを飲んだ。


 その何年後だったかはわからないけど、棟梁は支援住宅の浴槽の中で亡くなってしまった。

 本町公園に棟梁の仮設が建っていた場所にはちょうど石があるので、僕たちにとって何となくそこが棟梁の「墓」のようになっている。


 「今年もまたきたよ」

1.17 神戸

2012/1/17
今年も神戸で1.17追悼・連帯・抗議の集いが神戸市役所前で行われた。
でっかい市役所の前にステージを組んで歌や踊りがあり、そして訴える。
訴えている内容は
「借り上げ復興住宅」の「明け渡し→転居」強制を許さない
である。
 神戸市が借り上げている復興支援住宅(20年契約)からの追い出し
がじわりじわりと始まっている。震災当時60歳だった人は
20年たてば80歳、 当たり前の事だけどバリバリ仕事が出来る年では
ない。収入がそんなに無い人にとっては、家賃が今の倍になる事は
大きな痛手であり、生活が脅かされる。
 「払えない人はでていきなさいよ、だって契約でしょ」
というのが神戸市の言い分。
 それに「NO!!」をつきつけるのがこの集い。

神戸で「追い出し」の前例をつくらせてしまえば、
10年、20年後、東北で同じことがおこってしまう。

ヘルパー2級講座(第一回)

2012/1/14(木)
フィリピンから来たお母さんたちは
ヘルパー2級講座第一回が行われた。(計8回)
今まで日本語を毎週勉強してきて
いよいよ講座スタートだ。
毎週土曜日9:30から17:30までみっちりと勉強をしなければならず
日本人でも大変なことだ。

それでも母さんたちは
食い入るように講座を聴いていた。

仮設にて

2012/1/8
 岩手県一関市の千厩(せんまや)というところに
仮設住宅がある。気仙沼市からあふれてしまって
宮城県から行政区が違う岩手県に出来た仮設住宅は3つある。
 「私たちは忘れらている」と
住んでいる人たちの心には不安と怒りがたまっている。


 仙台で行われたサックス吹き梅津和時さんのライブに行った時、そんな仮設の状況を話すと
「ちんどんでもやって盛り上げたいね」
とライブの間をぬって時間を作り3日後にはそれが現実になった。
 ちょうど他の団体がもちつきをやっていたので
その宣伝のためにちんどんをはじめると、
おばちゃんやおじちゃんたちは
「なつかしいわーーー」といって
数人が手をたたきながら出てきた。


 その後集会所でお餅を食べながら懐かしの歌を大合唱。


音楽の力は確かにある。
仙台出身の梅津さんは「毎週でも来て元気づけたいね」というがなかなか忙しくて難しいでしょう。


そろそろ僕の出番かな

年越しは山で

2011−2012
の年越しは
いつものように
山で・・・